9月20日(日)礼拝メッセージ「神の平安」要旨

「神の平安」(詩篇121篇1~8節)
 詩篇の121篇は、まさに、救い主そのものであられる神について述べられています。
 ここで、教えられることは、私たちの人生における苦しみの中でも、最後の最大の敵である残酷な死でさえも、強力な力を持っている死でさえも、最終的な支配者ではないと言うことです。私たちには、自分を委ねることの出来る一人の主がおられるのです。
 (天地を造られた主)がおられます。あらゆる勢力にまさる主、全能の主がおられるのです。このことこそ、私たちに必要な慰めです。
 (慰め)というのは、聖書の言葉使いによれば、文字通り「深い息をつく、安堵する」ということです。神の与えらてくださる自由な空気の中で、私たちは深い息をつくことが出来るのです。
 主が生きておられるということ、主が私たちのことの全部を引き受けて下さっているということ、このような確信を得、私たちは安堵するのです。それというのも、すぐつけ加えてもう一つのことが即ち、神は全能であられるだけではなく、私たちの事情をすべてご存知の上で、私たちの益となるように好ましいように、整えて下さるために、その御力を全部用いてくださるということがあるからです。
 神はどんな時にも必ず私たちを助けてくださいます。そして、この神が、私たちの人生に介入してくださり、私たちを救い出して、下さるお方として存在しておられるということ、そのことが、私たちにとっての助けなのです。ですから、この全能の神に目を上げ、この方に取りすがり、この方に期待することが出来るのです。この方に、委ねることのできない心配事などありません。この方が取り除いてくださらない罪などない。この方が抜け出させてくださらない死などもありません。
 ここで述べられていることは、あなたには人生において、危険なところを通ることがあるかもしれない。私たちの人生は皆、いつも深い奈落の底を通っているのではないか。しかし、そこには、神のみ手があります。その神のみ手があなたを支え、あなたを保っている。だから、あなたの足がよろけることはないのです。しかも、私たちの命は、既に安全な場所に移されているのです。私たちは皆、そのことを既に、経験させられて来たではないでしょうか。どんな困難なときにも、恵みの神があなたの上に翼を火遂げてくださったではないでしょうか。常にあなたを覆うみ翼がある。あなたを導くみ手がある。「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」(ヘブル人への手紙13章5節)とおっしゃっています。

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