5月30日(日)リトルシープアワー「エジプトを出る」


 
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5月31日(日)礼拝讃美


 
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5月31日(日)礼拝メッセージ「愛のわざ」

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5月31日(日)礼拝メッセージ「愛のわざ」要旨

「愛のわざ」(使徒行伝9章36節~43節)
 この箇所のタビタのほかに、死人を生き返らせる奇跡は度々聖書の中に出てきます。
 しかし、イエス様が地上の生涯において、死人を生き返らせた奇跡は3度だけでした。しかも、それは、イエス様が神の御子であることを証する目的の為に行われたものだけでした。
 その3回とは、会堂管理者のヤイロの娘と、ナインのやもめの息子、ベタニヤのラザロです。
 しかし、彼らは果たして生き返らされて本当に幸せだったでしょうか。特にラザロの場合、彼はかえってユダヤ教の指導者たちから命を狙われることになったのです。
 それでは、主は何の為にラザロを生き返らされたのでしょうか。まさか、彼をわざわざ不幸にするために生き返らせたわけではないでしょう。では、他に何か目的があったのでしょうか。彼自身について言えば、かえってわずらわしいこの世に引き戻されたと言ったほうがいいかも知れません。
 しかし、彼の死を悲しんでいる二人の姉妹がいたのです。あのマリヤとマルタの為にイエス様はラザロを生き返らせられたのです。そして、又、イエス様ご自身が生きも死もご支配なさっているお方であることを他の人々に証しするためだったのです。
 このタビタの場合は同だったでしょうか。彼女も又、タビタが死んで嘆き悲しんでいた人々の為に、このことが必要だったのです。タビタ自身は、生き返ったことによって又、わずらわしいこの世の生活をしていかなくてはならなかったでしょう。
 ですから、このタビタの生き返りは、終わりの日の「よみがえり」とは、全く違うものです。生きる苦しみ、わずらわしさはあっても、この世の人々の為に、まだ、どうしても必要だったから、彼女は生き返らされたのです。
 そして、私たち人間の生も死もすべてを御手の中に支配なさっているのが主ご自身であることを証したのです。
 ですから、使徒行伝9章42節 このことがヨッパ中に知れわたり、多くの人々が主を信じた。とありますが、この時にも彼女が生き返ったことによって多くの人々が主を信じたのです。

5月24日(日)リトルシープアワー「エジプトの王様」


 
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5月24日(日)礼拝讃美


 
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5月24日(日)礼拝メッセージ「いやし主イエス・キリスト」

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5月24日(日)礼拝メッセージ「いやし主イエス・キリスト」要旨

「いやし主イエス・キリスト」(使徒行伝9章32節~35節)

  わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。そして、わたしたちが願い求めることは、なんでも聞きいれて下さるとわかれば、神に願い求めたことはすでにかなえられたことを、知るのである。ヨハネによる第一の手紙5章14節~15節
信仰とは望んでいる事柄が、今事実となって現れまだ見ていないことを事実として心の目で見ることです。ですから、断固として信じるのです。決定的にかなえられたと信じて祈るのです。
 そして、祈った後、口で信じたことを否定しないように注意しなければなりません。熱心に祈った後「果たして本当に治るのだろうか。」「こう祈ったからと言って実際治るのだろうか。」という様な否定的な考えを持つと、信仰の力の働きはストップしてしまうのです。天の父なる神様は、私たち人間がとても想像できない素晴らしい働き、わざを私たちに対してくださいます。
 にも拘らず、多くの人々が祈る時に疑いを心に抱いたり、不信仰な祈りをするために神様の力が働かないのです。
 ですから、いつも信仰をもって祈らなければいけません。聖霊の油注ぎを願い、イエス様の御名で祈る時、心に願う通り現実になったことを想像しながら祈ることです。
 これは、病のいやしだけでなく、どんなことでも、私たちの家族が救われるための祈りのときでも、すでに救われ、イエス様の前に出ているというイメージを描いて祈らなければならないのです。既に、成し遂げられたことを見て祈るのです。
 聖書は何と言っているでしょうか。「あなたの信じた通り、その通りになるように。」と私たちに語っています。私たちの心の中の信仰通りになるのです。神様は、私たちに必要な日ごとの糧を与えてくださると同時にその偉大な力を現すことを願っておられるのです。
 ですから、私たちはイエス様の十字架の血潮を崇め、その御名によって主なる神様を讃美したいものです。そのとき、私たちは聖霊と共に、サタンの頭を全く打ち砕いて日々神の力を奇跡を体験することが出来ます。
 そして、天国に凱旋するまで信仰によって、勝利の人生を歩んでいくことが出来るのです。

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