3月15日(日)伝道礼拝メッセージ「心の平安」要旨
「心の平安」(マタイによる福音書11章28節~30節)
「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」マタイによる福音書11章29節 とイエス様はおっしゃいました。
「心優しい」とは「柔和」という意味です。怒りや短気の中に平安はありません。又、キリストのへり下りは、キリストの十字架によってはっきりと表されました。イエス・キリストは神であられたにも拘らず、私たちの罪を負って罪人と等しくなって下さったのです。ピリピ人への手紙2章6節~8節で語っているパウロの言葉はキリストの謙りは、ただ人に親切であるとか、高慢にならないと言った類のものではありません。神の愛の故にかみであるご自身の特権を捨てて、地上に下って人となり、十字架にかかって下さったことです。
心の平安は、柔和と謙りの中に住むからです。私たちも「自分が謙れるように、謙遜になれるように」と祈りますが、その内容が聖書が言っている謙りと違っていることがあります。それは、人間的な謙りである場合が多いのです。キリストの謙りとは、神の愛の故に自分中心の自我に死ぬこと、即ち、自分のすべての特権を捨てることです。このような謙りは、人間的な決心や努力では不可能です。しかし、私たちがイエス・キリストを信じるようになると、私たちは、変えられてキリストのご性質を心に宿すようになります。このキリストの恵み深いご性質によって私たちは、キリストの柔和と謙りをもつことができるようになり、キリストの平安が私たちの人格の中に宿るのです。
そればかりではありません。やがて、私たちは周囲の人々にこのキリストの恵みと愛と平安を分けて上げられる人に変えられていきます。あなたは、地の塩、世の光になり平安を与える人、幸せを与える人になります。それは、あなたの心の内側にキリストの柔和と謙りが形成されてくるのです。
最後にひとつのことをお話しておかなければなりません。それは、あなたが「いつ」イエス・キリストのところに行けばいいのか?と言うことです。イエス・キリストは現在形で「わたしのところに来なさい。」と招いておられます。即ち、「今日、私のところに来なさい。」「今、私のところに来なさい。」と招いておられるのです。キリストの招きのみ今日素直に、イエス・キリストをあなたの救い主と信じて心の迎え入れて下さい。そうすれば、本当の平安が与えられるのです。




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