8月31日ワーシップコンサート於あすなろ

小坂忠先生と地元のバンドメンバー

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8月31日(日)礼拝メッセージ「信仰による力」

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8月30日(日)礼拝メッセージ「信仰による力」要旨

「信仰による力」」(使徒行伝3章1節~16節)

 私たちがどうしたら、信仰による聖霊の力を受けることができるのでしょうか。私たちがどうしたら信仰による聖霊の力を受ける事が出来るかというと、すべてをささげて「聖霊様の導きのままにお従いいたしますから、どうぞ私に聖霊を満たしてください。」とへりくだって祈ることです。自分が主になっていて、「聖霊を与えたまえ」と祈ってもダメなのです。
 まず、自分という己を捨てなければなりません。自分の意志、自分の願いを捨ててしまって「ただ神様のみ心だけを成していただきとうございます。そのため、神様、私には力がありませんから、どうぞ聖霊を満たしてください。」と、本当に空しくなって聖霊を求めるときに、「天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。(ルカによる福音書11章13節)との御言葉の通りに聖霊が与えられるのです。心を開きさえすれば、信仰によって御霊を受ける事が出来るのです。ですから、この時も「神様、私に聖霊を満たしてください。」と私たちが心を開き、一切を明け渡すならば、聖霊は使徒の働きの時と同じように今も、私たちの心の中に満ちて下さることが出来るのです。まだまだ、私たちは霊的には、足のきかない男と同じであります。霊的な足なえです。
 霊的な足なえとはなんでしょうか? それは、人生の旅路を正しく歩んでいくことができない者のことです。霊的に未熟なクリスチャンも、人生の旅路を足なえのようにあっちへつまずいたり、こっちへ転んだりしながらでしか、歩んでいくことはできません。
 こうした、霊的な足なえを神様はいやしてくださいます。それが救いなのです。
 そのことによって、主イエス・キリストが「いのちの君」であり、復活の主であることを証してくださるのです。私たちが霊的に完全な健康体となり得るのは、イエス・キリストによって与えられる信仰いがいにありません。
 どうか、今日も新しく、聖霊による力、そして信仰による力に満たして頂いて、私たちの生涯が神様の証し人としての任命を全うするものとなるようにお祈りしましょう。

8月24日(日)礼拝メッセージ「イエス・キリストの名によって歩きなさい」

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8月24日(日)礼拝メッセージ「イエス・キリストの名によって歩きなさい」要旨

「イエス・キリストの名によって歩きなさい。」(使徒行伝3章1節~10節)

 私たちは、自分が今、健康な体であることに感謝したことがあるでしょうか。朝、起きたときに手足が動き、耳が聞こえ、目が見えることに気づいて思わず神を賛美したという経験を持っているでしょうか?
 私たちは、ともすると恵みになれやすく、神様が多くの人々の尊い犠牲によって、現在の自分があるということに対して感謝する気持ちをなくしたり、他人を思いやることを忘れてしまいがちです。
  民衆はみな、彼が歩き回り、また神をさんびしているのを見、これが宮の「美しの門」のそばにすわって、施しをこうていた者であると知り、彼の身に起ったことについて、驚き怪しんだ。(使徒行伝3章9節10節)とあります。無理もないことです。なぜなら、今まで、30年以上も同じ場所に座って、人々の施しを受け続けていた男が、突然歩いたり、跳ねたりしているからです。
 今までは、毎日宮の門に来ていながら、宮の中に入っていかなかった男が、急に神を賛美しながら、ペテロとヨハネと一緒に宮に入って行ったのです。人々が驚かないはずはありません。イエス・キリストの名がのべ伝えられ、それを信じる時に聖霊がその人に働きかけ、その人は内側から外側まで全く新しく造りかえられるのです。その典型的な例が、この男性でした。
 果たして、私たちはクリスチャンになってから、どれだけ変えられたでしょうか。私たちの考え方や、話し方、そして生活のすべてを通して、他の人々が驚く程に新しく変えられているでしょうか。
(ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい。)私たち一人一人に人生も、そしてこの会社も、主人公はイエス・キリストなのです。私たちが、自分の考えや行動をイエス・キリストのそれよりも優先させる時、多くの失敗や身の破滅を招いてしまいます。しかし、私たちが、人生のすべての面でイエス様を主人公にし、自分をしもべの地位に置くときに、私たちは、全く新しく造りかえられ、心身共に健全に立ち上がることができるようになることを覚えたいものです。私たちは、いつも(イエス・キリストの名によって歩き続け)たいものです。

8月17日(日)礼拝賛美


 
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8月17日(日)伝道礼拝メッセージ「生きがいのある人生」

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8月17日(日)伝道礼拝メッセージ「生きがいのある人生」要旨

「生きがいのある人生」(ヨハネによる福音書10章9節~11節)

 「大草原の小さな家」に出てくる主人公ローラという娘がいましたが、彼女はある時一人の男に出会います。彼はローラよりずっと年上ですが、自分の愛する妻を亡くしてしまってどうしてもその悲しみの中に閉じこもったまま心を開くことが出来ない人を受け入れることも出来ないで、自分の家にじっと閉じこもって生活するようになりました。たちまち、その家の周囲はあれ果ててしまって、まるで人が住んでいないかのような状態になって、ローラはじめ、近所の子供達は、その家を「お化け屋敷」と呼ぶようになりました。
 子どものいたずら心から、ローラは他の子ども達といっしょにこのお化け屋敷の探検に行くのですが、そこで、たまたまこの男性に出会います。そして、恐ろしい思いをしながらも、その男が何故そんなにとじこもっていなければならないかを知ります。
 直接、お話をすることが出来ないままローラは、この男に聖書を読んでもらおうとするのです。自分も、この男のことを忘れることが出来ないまま、聖書を開いて祈ろうとします。ところがあまりにも、その男性のことに心を奪われていますから、聖書を膝の上に置いたまま、どうしても聖書をきちっと読むことも出来ません。そこに、お父さんがやってきます。そして、あの妻を亡くした男の人は、自分の愛する者が死んだという死の現実そのものを受け入れる勇気ないものだという底が大事なのだと申します。ローラは、「そうだ!! あのおじさんは、信仰を持さえすれば救われる!! イエス様を信じたら立ち直れるに違いない。」とお父さんに言うのです。そして、その時、父親に向ってローラが申しました。言葉はあのヨハネ11章25節~26節のイエス様のみことばです。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じるものは死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
 この御言葉で男は見事に立ち直り、ローラに会って「今度の日曜日に会いましょう。」と申します。日曜日に会おうということは、教会で合おうということです。一緒に礼拝しましょうと言うことです。
 聖書の御言葉は私たちに喜びと希望と生きる力をもたらすものです。その喜びの源、力の源はどこにあるのかと言うとそれは、イエス・キリストにあるのです。

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