6月22日(日)礼拝メッセージ「復活の証人」要旨
「復活の証人」(使徒行伝1章15節~26節)
(主よ・・・・・・お示し下さい)(25節)というこの祈りこそ、私たちすべての人間にとっても一番大切なことではないでしょうか。なぜなら、私たちの過去、現在、未来から私たちの家族関係やすべての人間関係に至るまで、ことごとく知っておられる方は、(主)お一人です。
又、私たちの才能や、心とその変わりゆくことをも、すべてを知っておられるのは(主なる神)だけだからです。ですから、私たちは、いつでも、何事でも(主よ・・・・・・お示しください。)と祈り、その答えに従うことが大切なのです。私たちが主に祈るとき、主は、最善をなしてくださるからです。
(25節)(どちらをお選びになるか)という場合の(選ぶ)は(2節)の「お選びになった使徒たち」というのと同じ言葉で十二使徒を選ばれたイエス様が、ここでも補充選挙をなさる「主」なのです。問題は、その主のご意向をいかにして知るかということです。彼等が祈ってから(くじ)を引いたのは、その時にはそれしか他の方法が無かったからです。
イエス様が地上にいらっしゃった時には、主ご自身が決定してくださいました。又、イエス様が昇天して聖霊が下されると、今度は聖霊の導きを求めることが出来ました。しかし、このときには、主は昇天され、聖霊はまだ下っていないあの10日間の出来事です。
ですから、このとき、主のみこころを知る方法は、旧約時代からイスラエルで行われてきた(くじを引く)方法しかなかったのです。
「 人はくじをひく、しかし事を定めるのは全く主のことである。」(箴言16章33節)この信仰に立って、当時九時を引くことは常識とされていました。しかも、主が昇天されてもはや地上におられない今、聖霊もまだくだっていない10日間のこと、彼らにはこういう方法を取る以外になかったことを理解しなければなりません。
それに何もかれらは、やみくもにくじを引いたわけではありません。それまでに、十分な資格審査をし、十分祈った上で(すべての人の心を知っておられる主)に最終的な判断を委ねる意味でくじを引いたのでした。
ですから、今日、私たちが安易にこのような方法を真似るべきでは在りません。この時には確かに正しい方法であり、主はこのくじ引きという方法に答えてみこころを示されました。
しかし、今日私たちには、聖書が与えられ、又、聖書に示されている神のみここをを正しく解き明かしてくださる聖霊が与えられています。その聖霊の導きによって、正しく神のみこころを知ることが出来るのです。
6月15日(日)伝道礼拝メッセージ「新しい人生」要旨
「新しい人生」(ピリピ人への手紙4章8節~13節)
わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。(ピリピ4章13節)
あるご婦人は、74歳の時はじめてイエス・キリストに出会い信じました。今、77歳の彼女は、おっしゃっています。「私は今、毎日が楽しくて楽しくて仕方がありません。私の過ぐる74年の人生は真っ暗闇でした。しかし、救われてからのあとの3年は、明るく輝いています。」
この型は、77歳の今、正に最高の時を輝いた人生を生きていらっしゃるのです。
私たちも、このイエス様にお会いするならば、永遠の命が与えられ、新しい人生が始まります。
イエス様は、私たちの心の扉の外に立って叩いていらっしゃいます。私たちが、私たちの心の扉を開いて、イエス様をお迎えし、「私はできることにならば、もう一度新しい人生をやり直したいです。」とおねがいするならば、たとえ、今、私たちが何歳であろうと、神様は私たちのうちに欠けていたところを修復してくださり、どの時期にあっても貴方に輝く人生をもたらしてくださるのです。
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。(コリント人への第二の手紙5章17節)
キリストにあるとき、どんな人でも変わることが出来ます。私たちのうちに新しい人生が可能となってくるのです。
イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。(マルコによる福音書11章22節~23節)神様は、私たちにこのような素晴らしい恵みと祝福を与えようとしてくださっています。
イエス・キリストがあの十字架に係、私たちの身代わりに罪の刑罰、のろいと裁きをその身に受けてくださったので、私たちは、その様な恵みをいつでも、無条件で受ける道が開かれたのです。問題は、私たちが、それを信じて受け取るか同化です。
いくら開いても、自分が踏み出さなければ、それを体験することは出来ません。
是非、皆さんもその一歩を踏み出して、この神様の力をご自分で体験なさることが出来るようにお祈りしましょう。
6月8日(日)礼拝メッセージ「祈りの力」要旨
「祈りの力」(使徒行伝1章8節~14節)
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。(ピリピ人への手紙4章6節)とすすめられています。
とにかく「感謝をもって祈りなさい。」とすすめられています。感謝ということが、私たちの祈りの世界に欠けていくのは、私たちの信仰の前進に妨げになるのです。
ですから、どんな時にも感謝をもって祈るのです。始めに感謝することが必要です。そして、感謝を持って終わることも幸いではないでしょうか。或いは、祈りそのものが全部感謝であったら、どんなにすばらしいことでしょうか。
祈りが困難な時についてですが、まず、第一に祈れない時にどうすればよいでしょうか。それには、まず、祈ることです。祈れないときには、矛盾のようですが、やはり祈るのです。もう、「神様」と言うだけしかいえない、いやそれさえも言えない時にも、私たちの心の内の叫びを神様は知っていて下さいます。それを大事にしなければなりません。それと同じようにたとえ祈りにならないような祈りであっても、祈り続けることが、私たちが支えられていく秘訣です。祈れないときにも祈りましょう。第二に祈るのですが、みこころが明らかでない時に、どうしたら良いでしょうか。
ヨハネ第一の手紙5章の中に、「神のみこころにかなう願いをするなら神はその願いを聞いてくださる。」と在ります。自分の願いが神様のみこころかどうかわからない時にはどうしたら良いかといえば、やはり「祈る」ことです。みこころがわかるときまで祈り続けることが必要なのです。
第三に、祈ってみたけれども、答えが与えられません。神様が聞いてくださらないどうしたら良いかというようなことが在ります。そのための手段はやはり「祈りなさい。」と言うほかはないのです。答えが得られるまで祈り続けるので卯s。兎に角、祈るのです。祈りましょう。
皆さん、どんな時にもとにかく祈りましょう。神様は、必ず、私たちを顧みてくださいます。そして、私たちは生涯かかって、この祈りの殿堂の奥行きを求めて行くものでありたいと思うのです。
偉大な祈りの力を体験させて頂きたいと願うものです。




![Validate my RSS feed [Valid RSS]](http://nhck.jpn.org//wp-content/uploads/valid-rss.png)

