「目が見えるようになること」(ルカによる福音書18章35節~43節)
人はみな草のごとく、/その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、/花は散る。 しかし、主の言葉は、とこしえに残る」(ペテロ第一の手紙1章24節~25節)
人の人生は短く、その短い一生は悩みにみちています。しかし、この短い一生をあなたは、どのように生き、どのように終わろうとしていらっしゃるのでしょうか。
「真珠湾攻撃」当時、総指揮官だった渕田美津雄さんのことばご存知の方も多いと思いますが、彼は、お国のために天皇陛下のために一生を捧げて生きて参りました。
生粋の軍人でしたが、思わぬ敗戦を迎えて生きる支えを失って毎日気がめいるような重苦しい生活を送っていました。こんな時、東京渋谷の街頭で1人のアメリカ人の元兵士からパンフレットを貰いました。その人は、日本の空襲に参加して捕らえられたヤコブ・デシーザーというひとだったのですが、そのパンフレットには「私は日本の捕虜だった」というタイトルで、「以前は日本を恨み続けていたけれども、獄中でイエス・キリストに会い、キリストの愛によって全く変わり、日本を愛する者に帰られました。」という内容のものでした。
渕田さんは、自分もその様な愛がほしいと思うようになり、彼のもとを訪ねました。そして、彼の説教を聞き、今迄愛国という美名のもとに、多くの人命を奪ってきた罪を心から悔い改めて、イエス・キリストを救い主として受け入れクリスチャンになったのでした。
渕田さんは、もう地上の生涯を終え、天の栄光のみ国に移されましたが、彼は晩年伝道者となり、日本全国だけでなく、世界各地を巡回して、イエス・キリストの救いの喜びを伝え、どれだけ多くの人々をイエス・キリストにある祝福された人生へと導かれたか判らないのです。
人生は短く、苦悩に満ちています。しかし、もし、イエス様にお会いするならばその一生は、本当に価値あるものと変わるのです。
人生に新しい意味を与え、正しい方向に導いて下さるイエス様、そのためにおいでになったイエス様を共に求めていきたいものです。
「不可能を可能にする力」(ピリピ4章8節~13節)
13歳になるビル少年は、「ここで待っていなさいね。」と母親に言われて、町の配水管の上に座らされ、そのまま飲まず、食わずという状態で3日経ちました。でも母親は戻ってきませんでした。ビル少年は親から捨てられたのです。
不安と孤独と空腹の中で絶望していた少年を見かけたある男性が彼を近くの教会に連れて行ってくれました。
そこで、生れて初めて神様の愛に触れた彼は、素直に自分の罪を告白し、イエス・キリストを救い主として信じ、受け入れました。破綻した家庭で育ったビル少年は、それまで一度も親から愛されたという経験がなく、聖書も読んだこともなかったのです。けれども、この時から彼の人生は一変しました。
牧師夫妻に愛されて教会で暮らすようになった彼は、大きくなって牧師になりました。
このビル・ウィルソン牧師は、現在ニューヨークのスラム街で22.000人の子供達を助けながら、沢山の車を改造した移動教会学校で、子供達に聖書から神様の愛を教えています。
困っている子どもや、苦しみ、悲しみの中にいる子供を見つけると、ビル牧師は黙って立ち去ることが出来ません。自分自身の体験から、彼らの寂しさや苦しみ、悲しみが本能的に彼らにはわかるからです。手を差し伸べる人が一人でもいれば、いのちが助かる子ども達が大勢います。そして、その子ども達が大きくなったら、困っているほかの人達を助けるようになるのです。
ビル・ウィルソン牧師は、ある時左の頬を拳銃で撃ち抜かれ失明寸前になりました。また、ある時はギャングに殺されそうになり、3度の飛行機事故で命を失いそうになりました。或は又、心ない人々から彼がしていることは売名行為だと言って批判されました。
けれども、彼は決してくじけることなく、今も貧しい子供達を助けるために世界中を駆け回っているのです。これほど迄に彼を動かす力は、どこから来ているのでしょうか? それは、人の弱さの中に働くキリストの力、そして神の愛です。
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。(コリント人への第二の手紙12章9節)
「エルサレムに向って」(ルカによる福音書18章31節~34節)
イエス・キリストの人間として歩まれた33年間の地上の生涯は、苦難に満ちたものでした。しかも、その最後はまさに残酷な恥辱にまみれたものでした。
いくら不当な死であったとしても、忠実な弟子達に見送られて息を引取った偉人の例は、歴史上いくらでもあります。けれども、イエス様の場合、3年間手塩にかけた弟子達の内の1人が自分を裏切って敵に売ることになり、それが十字架にかけて殺される直接の原因となったのです。しかも、残りの11人の弟子も、イエス様が捕らえられた時、皆イエス様を捨てて逃げ去ってしまったのです。
しかし、私達は臆病な弟子達のことを笑うことは出来ません。私達も又、いざという時には、イエス様を捨てて逃げるようなそんな弱い情けない者でしかありません。
けれども、私達がそんな者であることをご存じの上でそうした私達の恥をご自身が受けて死んで下さったのです。私達の何から何まで全部その弱さをイエス様は、その身に受け止めて、私達の代りに死んで下さった…それが主の十字架です。人からあざけられ、はずかしめを受け、つばをかけられ、むち打たれ、遂にイエス様は殺されました。まったくみじめそのもの、弱さそのもの、このイエス様の姿の中に、実は私達は生きていたのです。イエス様の十字架は、まさに私達の全部を引き受けて下さっての出来事でした。そこに、私達の救いがあるのです。
かってイエス様は、十字架の予告をされた時、復活の予告もなさいました。イエス様は、ご自分の前途にある恥辱をご存知でしたが、同時にご自身の前途にある栄光も確信していらっしゃいました。イエス様は、人間の悪意が、どんなに残酷なものになり得るかをご存じでしたが、同時に父なる神様の力がいかに偉大なものであるかも知っておられました。十字架の死というはっきりした敗北に直面すること、そのこと自体が、イエス様にとってとりも直さず、究極的な勝利の確信にほかならなかったのです。十字架なしにはいかなる勝利もあり得ないことをイエス様は知っておられたのです。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている(ヨハネによる福音書16章33節)と主はおっしゃっています。
「神に不可能はない」(ルカ18章24節~30節)
イタリヤのアッシジという町の大金持の商人の息子として生れたフランチェスコは、なに不自由のない生活の中で育っていきました。
青年時代の彼は、真面目に働くことが嫌いで、毎日仲間といっしょに酒を飲んで町中を歩き廻り、遊興にふけっていました。
あるとき、彼は、急に軍人になりたいと思いました。軍人のきらびやかに着飾った服装や、人々から尊敬される姿をうらやましく思い、あこがれたのです。軍人になった彼は、大金をはたいて宝石のついた剣や槍を買い求め、金色のまぶしい軍服を身にまとい、高価な馬具をつけた馬にまたがって勇ましく戦地に出かけていきました。
ところが、まだ戦場に着く前に、急に発病してそのまま野戦病院に入院してしまいます。今まで病気一つしたことのない彼は、非常に苦しい入院生活のなかで、ある晩不思議な夢を見ました。白い布をまとったイエス・キリストが彼の枕もとに立っておっしゃったのです。「おまえは、軍人になって何をしようというのか? もっとまともな人間になりたいとは思わないのか? 軍人をやめてすぐ故郷に帰りなさい。今までの欲望に振り回された生き方を捨てて、真面目な人間に立ち返りなさい。」
その夢を見た時から、彼は急に生まれ変わったように真面目な人間になり、病気もすっかりいやされて、すぐに故郷に帰りました。
今までの悪い不良仲間とも縁を切り、お金持ちの肉親とも別れ、豪華な家屋敷も皆捨てて、身にボロをまとい、はだしで着のみ着のまま貧しい姿で信仰生活を送ることになり、神様のことをお伝えするさすらいの旅へと出かけたのです。すべてのこの世の富を振り捨てた彼は、野原の隅に木の枝で小さな小屋を作って、朝から晩まで貧しい人たちの世話をしたり、ハンセン氏病などの病人の看護をし、さびしい孤独な人には神様の教えを話して慰めたりしました。彼は、常に聖書の時代のイエス様の弟子としての貧しさと謙遜さ、そして愛による伝道を理想として、それを実行していきました。
彼の人柄やその生き方を慕って、多くの人々が彼のもとに集まるようになり、やがてローマ法王の許可を受けて「ちいさな兄弟団」と呼ぶ団体を組織して、多くのすばらしいクリスチャンを養成して行うようになったのです。