11月15日(日)礼拝メッセージ「希望は失望に終わらない」要旨
「希望は失望に終わらない」(ローマ人への手紙5章1節~5節)
「そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」ローマ人への手紙5章5節
「貧しい者は常に忘れられるのではない。苦しむ者の望みはとこしえに滅びるのではない。」詩篇9篇18節 私たちは、いろいろな問題や苦難に悩まされることが多くあります。しかし、そのような中で、「悩むものの望みは、いつまでもなくならない。」とは何と素晴らしい約束でしょうか。現在、たとえどんな悩みの中にあったとしても、望みがあれば生きることが出来ます。
反対に、望みのない人生というものは、たとえ何億、何十億という莫大な富を持っていたとしても、空しく、さびしいものではないでしょうか。(希望)と言うものは、(失望)に終わらせないために、私たちクリスチャンは神様がその望みを支えてくださるのだと、受け止めることが出来ます。そして、私たちの望みは、消え去ることはありません。なぜなら、救い主イエス様にあって、父なる神様の愛が私たちの内に注がれているからです。
現在、たとえ、私たちが貧しかったとしても、もちろん、お金がないという貧しさだけではありませんが、精神的に惨めであるとか、人生に望みをなくしているとか、現時点でたとえそうであったとしても、決して失望することはないのです。私たちには、父なるまことの神様によって明日と言う日が備えられていますし、明日という日に望みをかけることが出来るからです。もし、私たちがどんなに若く、健康であったとしても、明日からの将来に対して望みを持つことが出来なければ、これは生ける屍と同様です。
しかし、心の中に望みを持ち続けることができるならば、どんな苦難の中にあったとしても、明日の救いを信じて喜んで忍耐を持ち続けるためには、私たちにはどうしても父なる神様に対する信仰が必要なのです。信仰は、私たちの全人格を支える力があるからです。
11月8日(日)礼拝メッセージ「主のために命を投げ出した人たち」要旨
「主のために命を投げ出した人たち」(使徒行伝15章15節~29節)
戦前、中国の上海にてアメリカの伝道者ボブ・ピアスが現地の宣教団体に一夜の宿を求めた時のことです。
真夜中、隣で実をよじるようにして、うめくような声で泣いている男がいました。聞くと21年間辺境のチベットで伝道をしてきた宣教師でした。「なぜ泣いているのですか。」ボブ・ピアスは聞きました。21年間の苦闘の伝道を宣教師は語りました。7年間は一人のクリスチャンもなかったのです。20年を過ぎて、与えられたものはわずか5~6人があつまる小さな教会でした。
しかも、最愛の娘がハンセン氏病(らい病)にかかって、母親(宣教師の妻)と共に、母国アメリカに帰ってしまった後でした。ボブ・ピアスは気の毒に思いすぐに小切手を切り、アメリカの夫人と娘のもとに帰り、静養することを勧めました。だが、その宣教師はそれを辞退しました。「違うんです。私が泣いていたのは悲しかったからではありません。と言って、宣教師はひとつの夢の話をしました。「その夢の中で、イエス様が「私はこれからチベットへ帰るのだけども、お前もかえってくれるか。」と聞かれるのです。こんな小さな、今まで何の成果も上げなかったこんな私を信頼して『帰ってくれるか』と言われるのです。私はチベットを見捨てることは出来ません。わたしは主の愛に感動して泣いていたのです。」
誰も知らないところで、主のために本当に苦闘している人がここにいる。その話を聞いたボブ・ピアスも泣きました。
このことは、後に多くの宣教師を支える団体ワールドビジョンを生むきっかけとなったのです。私たちのために、命をすてて下さった主イエス・キリストの為に私たちも又、命をかけて生涯したがっていくものとならせていただきたいものです。




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